離婚体験記コンテスト 結果発表

「第1回 離婚体験記コンテスト」へ
沢山のご応募ありがとうございました!
厳正なる審査の結果、下記のとおり受賞作品が決定しました。

受賞された方へ この度は受賞おめでとうございます!
ご登録いただいたメールアドレスに受賞のご連絡をお送りしておりますので、ご確認いただけますと幸いです。
※メールが届いていない場合はコンテスト事務局にお問い合わせください。
コンテスト事務局:info[at]milapos.com([at]の部分を@に置き換えてください)

池田リナさん

私の離婚体験記

あの離婚は正解だったのだろうかー。

離婚してから5年経った今も、時折ふとそんな問いがよぎる。それは私の人生において、もっとも迷い悩んだあげく決意したことだった。当時31歳。結婚生活はわずか4年で、私にはまだ2歳の息子がいた。子供のことや今後の生活のことを考えると、「これでいいのだろうか」「自分は間違っているのではないか」と何度も思ったが、その頃の私はとにかく夫と離れたい、環境を変えてすべてをやり直したいという一心だったのだ。

「一生この人と添い遂げよう」一度はそう誓ったにもかかわらず、私たちの結婚生活は早い段階で亀裂が生じ、立ち行かなくなってしまった。結婚当初、夫はそれまで勤めていた大手商社を辞め、いくつかの会社を経営する立場となった。国内外を飛び回り、重責に耐えながら休日も返上で働く毎日。当然、私には想像できないほどのプレッシャーもあっただろう。…

審査員のコメント

最優秀賞に選んでいただきありがとうございます。励みになります。 私の離婚体験記を様々な方に読んでいただけることで、何かの参考・ヒントになったり、前に進むきっかけにしていただければ幸いです。文章を書くことは私のライフワークとして、これからも続けていきたいと思います。

審査員のコメント

周りから見て「どうか?」ではなく、自分自身が「どうあるべきか」が重要だということをこの体験記が教えてくれます。自分の決断を「正解」にできるかどうかはその後の生き方なのです。

カレリアさん

小さな光

以前の夫は、誰が見ても「まじめ」で「堅実」な人間だった。大学を出て、世間が言う一流企業に就職し、同世代の中では優等生的な存在でもあった。

結婚当初は自慢でしかない夫だったが、結婚して数年が経つうちに、どこか落ち着きを失っていることに気づきだした。まさか彼が投資で人生を狂わせることになるとは。最初は「副業感覚でやってみるよ」という軽い気持ちだったようだが、みるみるめり込み、話の大半が投資のことになっていった。

私が心配になって「あまりのめりこみ過ぎない方が良いと思う。」と話しても、夫は「大丈夫。投資はすごく上手くいってるし、そもそもしっかりリスクヘッジしてあるから」「このまま続ければ、億ションに住める」と、自信満々だった。

けれどもそれは幻想だった。運良く大きく儲かることもあったようだが、それが逆回転を始める。結局、夫は大きな失敗を重ね、また取り戻すためにさらに無謀なリスクを取るように。その悪循環に飲み込まれ、気づけば我が家の貯金が全て消え去っていた。私が「もう辞めて」と言った時には、どうにもならない額まで借金が膨れ上がっていた。

審査員のコメント

全く同じように見える人も、日々変化しています。この人は「こういう人」と思い込むのは、たとえ家族でも大きなリスクです。それは、こちらの都合を押し付けているだけで、相手が望んだ姿でなければ「そんな人じゃなかった。」「そんな人だとは思わなかった。」になるのだと思います。過度に期待しない、誰かに依存しない、その一方で誰かを頼ることも必要です。この体験記を通じて、私が学んだ教訓が誰かの心に届きますように。

審査員のコメント

人生はいつどうなるかわかりません。決して楽な道ではなくても子どもと一緒に歩いていくという強い意志が胸を打ちました。

つーママさん(特別賞)

大丈夫、何となかなる

元夫は18歳年上の、すでに離婚経験がある人だった。3年間付き合っていた彼氏に振られ、自暴自棄になっていた私は、早く次のお相手を見つけたかった。
正直、次に付き合う人は誰でも良かった。そんな時、元々知り合いだった元夫と何となく付き合うようになり、何となく結婚した。共通の趣味を通して知り合いだった事もあり、子供が出来るまでの間は、それなりに楽しく過ごせていたと思う。ただ、元夫はとにかく言葉遣いが悪かった。

最初の頃は、不器用なだけで、きっと根は凄く優しくて頼もしい人なんだと、自分自身に言い聞かせていた。私は結婚をしてから資格を取るために専門学校に通っていて、その間は支えてくれていたし、夕食を準備してくれたり、私のやりたいことを優先してくれたり、良いところは沢山あったはずだった。

審査員のコメント

まさか私の離婚体験記が入選するとは夢にも思っていなかったので、今は驚きと嬉しさで胸が一杯です。 人生は小さなさざ波から、思いがけない荒波が立つ事もあります。その中で、いかに気持ちをフラットの状態に戻せるかは、やっぱり日頃の感謝の気持ちをどれだけ持てるかが重要なんだと思います。正しい選択ではなく、心地良くなる選択ができますように。この度はありがとうございました。

審査員のコメント

この決断を良かったと思えるためには何が必要なのか?つーママさんが達した結論に深く考えさせられました。

ももたさん(特別賞)

夜があけて

娘が高校に入学した夏、離婚を決めた。もちろん寝耳に水、青天の霹靂ということではなかった。いつからか夫婦仲は少しずつずれ、お互いを見なくなってきていた。だが夫婦とはずっと仲がよく見つめ合っていくものではなく、お互いに適度な距離を保ちながら無関心となり家族へと変わっていくものなのだろうと、漠然と思い過ごしていた。

そんな中突然裏切りがあった。お盆に実家に帰ると言って出かけたはずが、全然違っていたのだ。その後も無断外泊が何回か続いた。心の中はざわざわしていた。ちゃんと話さなければいけないと思い、娘が寝るのを待ち、何回も問い詰めた。

審査員のコメント

今回の受賞、とても嬉しく思っています。 私の経験が、皆さまの心の力になれたらと願っています。

審査員のコメント

離婚で大変なのは親だけではありません。娘さんの喪失感と向き合うためにももたさんがとった行動に「おお!すごい(素晴らしい)」と思わず声を上げてしまいました。

離婚して約4年さん(特別賞)

離婚当時を振り返る

令和2年度の司法統計によれば、婚姻関係事件申し立てにおける動機ベスト1位は、男女ともに「性格が合わない(性格の不一致)」である。例にたがわず、私と元夫も統計に沿い「性格が合わない」ことによる離婚となり、現在私はひとり親、いわゆる「シングルマザー」である。

元夫とは大学生の頃からの付き合いで、一緒にいることが当たり前のような距離感であった。変わったのは子供を持つと決めたあたりからである。私は産後に鬱のような状態になり、彼に当たることが増えていた。特に大きな原因はなかろうと自分では思うが、小さなことが積もりに積もり、彼は突然「もう一緒に住めない」と言い、私と子供を置いて出ていった。そのまま離婚調停になり、離婚に至る。この点については元夫にも言い分があるだろうと思うので、言及を控える。

審査員のコメント

貴重な挑戦の機会と評価をいただき、ありがとうございます。

審査員のコメント

今後の人生において「離婚して約4年」さんが辿り着いた結論とは?必読の離婚体験記でした。

白猫さん

DVから逃れる〜希望に繋がる茨の道〜

まさか私が離婚するなんて…

今も悔しい思いが心を突き刺す。
自分こそは幸せな結婚生活を送れると思っていた。
自分の両親も離婚した。私の代で宿命を変えてやろう、そう思っていた。なのに最悪の形で離婚することになってしまった。

私は23歳の時、職場で出会った元夫と結婚している。元夫は職場ではとても働き者でお客さんからの評判も良く優しい人だった。両親の離婚後父親に引き取られ、新しい母から虐待まがいの育て方をされた私はこの人となら大丈夫、きっと幸せになれる。そう思い結婚を決意した。お腹には新しい命も宿っていた。

審査員のコメント

私の拙い作品を入選に選んでいただいてありがとうございます!とても嬉しくて涙が出ました。DVで避難してシェルターに入るということを自分の人生で経験するとは思っていませんでしたし、避難しなければならないようなDVだったということを自治体の方に言われるまで自分も気が付いていませんでした。あれから何年も経ち、今も本当に大変で苦悩の真っ只中にいますが、私も子供も心は穏やかです。今現在DVで悩んでいる皆さん、声をあげれば誰かが助けてくれます。 私の経験が皆さんのお役に立ちますように。一歩でも前に進む勇気になれば幸いです。この度は本当にありがとうございました!

審査員のコメント

DVシェルターの現実をリアルに描写できており、DVに悩む女性は必見です。白猫さんの夢が叶いますように。

花森はなさん

あきらめなかった夢、新しい家族のカタチ

私の夢は、自分の家族を持つことでした。

小学校や中学校の文集に、そんな夢を書く訳にはいかず、その時なりたかった職業を書いたのを覚えています。

両親がいなかった訳ではありません。母親は何度か離婚と再婚を繰り返し、養父からは疎まれて生きてきたというだけで、普通の家庭というものに多大な憧れを抱きすぎていたというのもあるのでしょう。

そんな私が結婚したのは23歳の時でした。周囲からは飛び抜けて早く、人生経験もまだまだというところでしたが、私はとにかく少しでも早く「結婚」がしたくてたまりませんでした。自分の家族が欲しい。帰宅した時に家の明かりが点っているのを見て、絶望的な気持ちにならない家に帰りたい。それは私の切実な願いで渇望でした。ごく一般的な家庭に生まれ育った夫となら、叶うと信じていました。

審査員のコメント

この度は、入選作品に選んでいただき、誠にありがとうございます。今回は、私自身の経験をもとに、幼い頃から抱いていた「自分の家族がほしい」という夢や、その夢が様々な困難を通して、形を変えながら実現していく過程を書きました。家族とは何か、幸せとは何か、全てわかっているつもりではありませんが、離婚という経験を通してひとつの答えが見つかったような気がしています。離婚はけして不幸な出来事ではありませんし、これで人生が終わる訳ではありません。むしろこれからが始まりです。この経験が、同じような境遇にある方々の心の支えになればと願っております。選考委員の皆様、読者の皆様、本当にありがとうございました。

審査員のコメント

子どもたちと3人でコンビニに行った時の描写が素晴らしかったです。最初の1文と最後の1文が胸にズシンと響きます。

どむさん

後悔の先にあるもの

40代後半、独り身。この言葉が、今の私の現実を端的に表している。2年前、私は10年近く連れ添った妻と離婚した。結婚したのは38歳、子供が生まれたのは42歳と、世間一般から見れば少し遅い方かもしれない。だからこそ、子供が生まれた時の喜びは格別。小さな体で一生懸命生きようとするその姿は、私にとってかけがえのない宝物だった。

しかし、幸せな時間は長くは続かなかった。子供が生まれてからというもの、妻は子供中心の生活へとシフトしていった。それは、母親としての自然な感情であり、責められるべきものではないのかもしれない。だが、私に向けられる視線は徐々に冷たくなり、会話も減っていく。子供のことばかりを気にかける妻の姿を見ていると、自分がまるで蚊帳の外に置かれたような、寂しさを感じるようになった。

審査員のコメント

まだ前向きに人生を歩めているとまでは言えませんが、一歩一歩進んでいければと思っています。子どもの幸せを願うからこそ、自分自身も再生し、前に進まなければいけません。この度はありがとうございました。

審査員のコメント

子どもの幸せを願う親権のない父親の気持ちと、この経験を乗り越え、前を向き歩いていく想いが溢れています。

キャリーさん

こんな離婚の話。

私は25歳で授かり婚をした。
離婚までの道のりはとてもコンパクトで、トータル約1年半、事件は3回。

第1の事件は妊娠中。事の発端はクレジットカード。
夫名義で新規のクレジットカードを作ろうと申請したところ、審査が通らなかった。
いわゆる「ブラックリスト」的なものに入っていたんだと思う。
その理由に心当たりがないのか、とりあえず夫に聞いてはみるものの、
真実を語るわけもなく。若かった私はあまり深く考えもせず、いったん受け流した。

審査員のコメント

連絡頂いた時はめちゃくちゃビックリしましたが、思わず声が出てしまうほど嬉しかったです。 「離婚」というものは、経験しないでいられるのであればもちろんその方がいいのでしょうが、人それぞれ色々な理由があり、想いがあり、悩み抜いた末にその選択肢にたどり着くのだと思います。 世間的にみれば決してプラスのイメージではないとは感じますが、私個人としては、経験値を得て人生レベルアップしたのだと自負しております。(笑) 他人に言わないだけで、みんなそれぞれ色々な悩みや不安を抱えているはずです。 世の中にはこんな人もいるんだなぁと、 読んだ人の心が1gでも軽く、 1mmでも前向きな気持ちになってくれたら幸せです。 ありがとうございました!

審査員のコメント

内容はハードですが、ポップな文体とキャリーさんの「生きていく」という力強さが素晴らしい。読むだけで前向きになれる離婚体験記でした。

ayuso-poさん

29歳で、2人の娘を連れて離婚をしました。
専門学生(2年生)の時に1つ年上の元夫と出会いました。元夫は女性経験が0に等しく、不器用ながら純粋に私を大切にしてくれました。更に頭が良く、大学に通い公務員を目指している事から、人としても、将来の事を考えても「この人なら、幸せな家庭を築ける」と思えました。私は、育ってきた家庭環境に少々問題があり、温かい家庭に憧れていた事と同時に『居場所』が欲しかった。結婚式をしたくない事もあって、子どもを作って23歳の時に入籍しました。

元夫は、公務員試験に落ち、ガソリンスタンドに就職。その2年後に入籍となるのですが、その4年後、最初の事件はこのスタンドでした。お客様の車から7千円が消えた。元夫は「俺のせいにされた」と無実を訴えますが、大事にしない代わりに自主退職をする事になりました。酷く落ち込む姿に疑う余地は無く、次への一歩を歩み始めました。ただこれが、どん底の始まりでした。

審査員のコメント

この度は、私の思い出話しに心を寄せて頂き、ありがとうございました。自分の作品が、賞を頂くという経験は、人生初めてであり、何と言葉にすれば、今の喜び、感謝の気持ちを伝える事が出来るのか・・言葉が見つかりませんが、強いて言えば『生きてて良かった』やはりこの一言でしょう。人生、生きている限り何が起こるかわかりません。もし、今、昔の私と同じ様に辛い想いをされている方がいましたら、今がゴールではない。と言う事を忘れないで下さい。皆様の周りに、一つでも多くの笑顔が咲く事を心より願っています。

審査員のコメント

何度も壁にぶち当たり、それをギリギリで乗り越え、最後に出た一言が素晴らしかったです。

レーコ ツジさん

生きてりゃ、たいしたことない

ことの始まりは、娘が小学5年生の時だった。高校教員だった夫は、テニス部の顧問をしていた。テニスバッグの中に洗濯物がないかと開けてみると、ラケットと一緒に入っていたのは、何冊かのファイルだった。嫌な予感は、私の全身を走った。

その頃、携帯電話が急速に普及し始めた頃で、夫はしきりにいじるようになった。そして、不自然にも、隠し持つように洗面所に入り、暫く出てこないことがよく出て来た。夫は、私が気づいていないと思っていたようだ。私は何度も洗面所のドアを開けようかと思ったが、勇気が出なかった。そのうち、夜遅く、コンビニに行くと言って、出かけることがでてきた。こんな時間に、欲しいものがあるからと言って買い物に行くようなまめな人ではないのに。私の中にあったぼんやりとした不安は日毎に形を持ちだした。

審査員のコメント

世間の常識は、都合よく刷り込まれて、人を縛って苦しめます。「夫婦は空気みたいなもの」「子はかすがい」なんて、嘘っぱち! 世のシングルマザーよ!くれぐれも父親の代わりまでして頑張ろうなんて思わないでね。父親にはなれないし、そんな必要はないと思うの。母として、つまりは人として、自分を生きてね!しんどい時もある、苦しい時もある、ちょっとした揺さぶりで大声で泣き出す時もある。それで当たり前。でも、生きていこう。あなたの偉大さはあなたが知ってる。それで十分よ!今回のことはまさかの出来事でした。生きてて良かったって、こういうことなんですね。自分って面白い。関係者の方々、この歳になった私に、幸せをくださり心より感謝いたします。

審査員のコメント

衝撃的な書き出しにまず驚かされました。一気に最後まで読ませる筆力も素晴らしい。離婚後の娘さんの言葉に救われました。

シモマツミホさん

離婚に感じること

離婚の原因はほとんど、お金・女・DV・性格の不一致、そのどれかだと思う。しかし離婚を決断する時、迷いの中で自分の心を後押しして、もう後戻りさせない決定打になるような理由は人それぞれだと思う。

私の離婚原因は女とお金だった。結婚7年目でようやく赤ちゃんを授かり、私が産後に入院、その後実家へ帰省する間に、夫は羽目を外し、コスプレバーに通い、そこで仲良くなった自分より20才以上も若い女子大生と親密になり週末ごとに会うようになった。同じ頃、夫に借金があることも発覚した。お金に関しては交際時から夫のルーズさは知っていたが、結婚後は私が家計を管理することで対応していた。月の途中でお小遣いが不足したり、飲み会があるからと言われればその都度追加で渡し、夫がつかう毎月の金額は、一般的な家庭の夫のお小遣いより随分高かった。そこに不満はあったが、結婚前のように借金はしなくなったし、私がいる限り夫を借金に走らせることなく、世帯として多少の貯えを増やして行けていけるから、多少の自信もあった。

投稿者のコメント

私の堪え難い体験を発信することで、同じ境遇の誰かを励ませたらとずっと考えてきました。私自身も離婚を迷う最中では、夫婦関係に悩まれている方のブログにとても励まされてきました。辛い思いをしているのは自分だけではないと知ることは、とても勇気づけられるものです。離婚は悪いことではありません。 離婚を考えながらも、前向きに生きていこうとされる方に読んでいただけたら幸いです。この度は、受賞という形で辛い体験の一部を昇華することもできました。 喜びとともに、大変光栄に存じます。ありがとうございました。

審査員のコメント

人生で何度も訪れる「決断」の大切さを教えてくれます。シモマツさんがどこで何を決断したのか?是非最後まで読んでみてください。

さくらさくさん

罪の十字架を降ろすこと。

私の離婚体験記は、離婚と言うより結果的に死別になると思う。
が、しかし夫と死別することになるのは離婚する話を進めている真っただ中だったからだ。
本来、夫が生きていれば離婚していたはずなのである。

それが、離婚する相手が別れる手続きをしないまま、勝手にあの世に逃げてしまったのだ。
置いていかれた私は数年間、幼い息子を抱えて途方に暮れていたことを記憶している。
死別した夫は、出会ったころは豪快であり、優しかった。それが「男らしさ」という魅力にひかれ結婚したのであるが、結婚してから彼は変わった。
仕事帰りのパチンコやギャンブル。わたしが惹かれた「男らしさ」であった豪快さは
ギャンブルにはまるお金の使い方にも比例するものであった。

審査員のコメント

まさか、佳作に選ばれるなんてびっくりでした。次男が成人し社会人になった節目ということで辛い過去でしたが思い返し、自分がどのように乗り越えてきたのかを静かに見つめ直す機会をこのコンテストでいただきました。「生きていれば」こうしてコンテスト受賞もできること。多くの方に辛いこともあるかと思いますが、生きる意味や素晴らしさを知っていただけると幸いです。辛い苦みは、いつかは「甘味」に変わることもあります。これからも、様々なことに直面すると想像はできますが、重い荷物を降ろして軽やかに生きて行こうと思いますし、この経験を多くの方に伝えていくことも私にとって必要なことだと実感いたしました。この度は、選んでいただきまして、ありがとうございます。

審査員のコメント

どんなにつらくても前を向き、歩み続ける「さくらさく」さん。20年必死で生き、辿り着いた結論は必見です。