離婚に感じること -シモマツミホさんの離婚体験記

離婚の原因はほとんど、お金・女・DV・性格の不一致、そのどれかだと思う。しかし離婚を決断する時、迷いの中で自分の心を後押しして、もう後戻りさせない決定打になるような理由は人それぞれだと思う。

私の離婚原因は女とお金だった。結婚7年目でようやく赤ちゃんを授かり、私が産後に入院、その後実家へ帰省する間に、夫は羽目を外し、コスプレバーに通い、そこで仲良くなった自分より20才以上も若い女子大生と親密になり週末ごとに会うようになった。同じ頃、夫に借金があることも発覚した。お金に関しては交際時から夫のルーズさは知っていたが、結婚後は私が家計を管理することで対応していた。月の途中でお小遣いが不足したり、飲み会があるからと言われればその都度追加で渡し、夫がつかう毎月の金額は、一般的な家庭の夫のお小遣いより随分高かった。そこに不満はあったが、結婚前のように借金はしなくなったし、私がいる限り夫を借金に走らせることなく、世帯として多少の貯えを増やして行けていけるから、多少の自信もあった。

ところが、ある日、夫の財布の中から消費者金融のカードが見つかる。もちろん驚きと怒りが噴出。私は感情を夫にぶつけることで、私は心をどうにか保った。
ところが女の問題はお金の問題とは違う種類の凶器かのように別のダメージを与えてきた。発覚したのは複数の女との親密メールのやり取り。飲み屋のおねえちゃんやら、会社同僚やら、その友人の女やら、昔の女やら。その中から現在進行形の女子大生とのラインのやり取りを見つける。加えて、スマホのお気に入りページから夫が書いているエロブログの存在を見つける。そこでは女子大生と出会い、一緒に通っているコスプレバーでの常軌を逸した、ハプニング的な性行動が面白おかしく書かれていた。また時には相手への溢れる気持ちを陶酔した様子で綴ったものもあった。今思えばバカみたいだが、ブログを見つけたとき、夫が溢れる気持ちを書き綴っている、その対象は自分だと勘違いした。それくらい夫にとって自分は揺るぎない地位が確約されていると信じていたし、夫も私にそう信じさせていた。女性問題は私にとっては晴天の霹靂だったこともあり、不貞を受け止めることは難しかった。
嘘は付けない私と、嘘をつくことが日常の夫。そもそも他人への誠実さの度合いが違いすぎた。二人で過ごす時間は楽しくて、結婚前の交際は7年続いて結婚も決めた。夫は私に対して誠実だと思っていたが、実際には不誠実だったのだ。

借金と不貞が発覚してからは、夫は言い逃れのためにますます嘘を続けた。そしてその嘘は、実は交際中から続いていた日常だったと気づいていくことになった。ただ私が気づかなかっただけ。結婚7年目、交際からは14年目で気づくという哀れさ。私が人を疑うことを知らない故の過ちに、自分への嫌悪感まで湧いてきた。結婚という選択は間違いだったと思い苦しくなった。

これまで私には夫しかいないと信じていた。何を無くしても夫だけは無くしたくない、そう思ってきた自分の気持ちを否定することが辛かった。でも、もし夫が心を入れ替えてくれたら、何も知らなかったときのように幸せな時間が過ごせるのだろうか。それが叶うならやり直してみようか。いや、そんな夫になれるのだろうか。ぐるぐる巡る思いが日々繰り返されるうちに、この結婚生活をあきらめる方が自分のためではないかと思う時間が、ちらほら現れるようになった。

女の問題はお金の問題と違って、私が怒りを放出すればどうにかなるものではなく、私の心を貫通して、私そのものを蝕んでいった。その頃は自分が自分を痛めつけるように、何度も何時間でも同じことを考え続け、苦痛から抜け出しきれなかった。今思えば私はあの時不治の病にかかったと思う。苦しいトンネルを抜けて、快方に向かい落ち着きを取り戻したとしても、それはいわゆる緩解という状態であって完治することはない。病は今も私を傷つけてくる。思い出してどうしようもない苦しい気持ちを引き出してくる。おそらくこれがフラッシュバックというんだと、その後7年経って私は気づいた。

離婚するしかないのかも。そんな思いが沸きあがる中で、私は自分への嫌悪を感じることがあった。それは生まれてきた息子に関してだった。まだ赤ちゃんの息子は愛おしくてたまらない。この子は愛情いっぱいの家庭で育てていくはずだった。でも私の思いは叶わなさそうだ。私は息子に対して何ということをしてしまったのだろう。父と母が二人揃わない家庭で息子は育たなければならないなんて、なんと無責任に息子を生んでしまったのだろう。そんな気持ちに苛まれ、悶々と考え続ける中で、私は1年間の育児休暇を終え、職場復帰した。仕事中は夫のことを考えなくても済む時間を確保できたけど、通勤・退勤中、ふとした合間では、日々まあまあな頻度で頭に浮かんできて心を蝕んでくる。いったい、いつまで迷い続けるのだろうと思うようになった頃、この結論は離婚に行きつく方がよいのではないかと考えるようになり、やがて私と夫の結論は離婚でいい、と考えられるようになっていった。でも私にはもう一つ大事な理由が必要だった。赤ちゃんを授かったにも関わらず、子どもが幼いうちに離婚しなければならなかった理由が。子供に将来、なぜ自分を生んだのか聞かれたときに何と答えたらよいか言い訳が欲しかった。息子のためというより自分を正当化したいだけだったと思う。自問自答しながら、その答えに行きつくことは比較的簡単だった。私にとって息子が授かったことは人生においてこれ以上はない最高の出来事だから、子どもが生まれてきてくれたことを何よりも嬉しいと思っている。それだけで十分だ。私は夫を失ったけど、かけがえない息子と出会えた。それでいい。そこは自分の正直な気持ちでいい。もし大きくなった息子に聞かれても自信を持ってそう答えよう。

残すは離婚の理由、私の決断を決定づけてくれる理由を見つけていた。子どもが3歳すぎるまで思い悩み続けた。うじうじしていた。私は夫の借金が発覚したと同時に実家に戻り、息子が1歳を過ぎるころには夫と完全に別居していたが、これからまた一緒に暮らすイメージはどうしてもつかなかった。一緒に暮らしながら、円満な感じの家族に戻っていけるのか。円満を演じる毎日の中で、傷ついた心は次第に健康になっていくのか。考えたけど心を取り戻していく自分のイメージは全くつかなく、嫌な出来事を時々思い出し、ひとりで我慢して、心はもやもやしながらも平静を装っている自分しかイメージできなかった。そんな自分の姿は子どもに知られたくないと思った。悶々としている母の姿を息子の記憶の中に残したくなかった。いつも母は前を向いて家庭と職場でイキイキと存在している、そんな姿を子どもの記憶に残したいと思った。「そうだ!これでいい!」こどもの前でどういう母でいたいか、が私の決断の決定打となった。スッキリと落としどころが決まった。人生の忘れられない決断のひとつだ。

あれから7年が経ち、私は20年以上勤めた会社を辞めることにした。離婚するときには自分に定職があることをラッキーだと思い、この仕事で子供を一人前に育てていこうと思った。その仕事を辞める決断をした。

離婚後、責任ある立場となり、給料は上がったが、時間と体力・精神力が著しく消耗するようになった。長年の経験を経て感じるやり尽くした感、40代後半まで人生を生きてきた私の価値観と会社の方針との隔たりに、自分の中で折り合いをつけることに心が疲弊していた。帰宅後、母に仕事の愚痴を言っているのを聞いている息子は私の会社はブラック企業だと言うようになった。「いかん」。イキイキとした母の姿を見せていたかった私が、会社に立ち向かいきれない母の姿を見せていたと反省した。

そしてこの秋、私は退社した。決断の背中を押してくれたのは、過去に離婚を決意した時の自分。こどもに見せたいのは自分の人生をイキイキと過ごしている母。
こどもは今小学4年生。あの時母は長年勤めた仕事を辞めたけど、あの時から新しい人生が始まったよね、イキイキしてきたよね、とそう思ってもらえる日々を送るための決断である。

あの時、自分で納得いく離婚の決断に至ることができたから、私はこれからも自分のための人生を決断できる。
辛い経験の長いトンネルから私が得たものであり、これからまた困難があっても、私はまた自分で決断できる。そう自分を信じられること。これが、私が離婚から得たもの人生の糧である。

人生で経験することはすべて自分の糧になる。人生の先輩にそう言われたことがある。とはいえ辛い経験は耐え難い。でもそこに感受性を働かせて応用していく力があれば何かが得られる。それは自信につながる。選んだ選択肢が間違いないと思える自分に、誰しもがなれると私は信じている。