大丈夫、何となかなる -つーママさんの離婚体験記つーママさんの離婚体験記
元夫は18歳年上の、すでに離婚経験がある人だった。3年間付き合っていた彼氏に振られ、自暴自棄になっていた私は、早く次のお相手を見つけたかった。
正直、次に付き合う人は誰でも良かった。そんな時、元々知り合いだった元夫と何となく付き合うようになり、何となく結婚した。共通の趣味を通して知り合いだった事もあり、子供が出来るまでの間は、それなりに楽しく過ごせていたと思う。ただ、元夫はとにかく言葉遣いが悪かった。
最初の頃は、不器用なだけで、きっと根は凄く優しくて頼もしい人なんだと、自分自身に言い聞かせていた。私は結婚をしてから資格を取るために専門学校に通っていて、その間は支えてくれていたし、夕食を準備してくれたり、私のやりたいことを優先してくれたり、良いところは沢山あったはずだった。
それでも、言葉遣いが悪いところは直らなかった。時折、怒鳴ったり、私の発言に対して無視をするようになったり、食事中に不機嫌な態度を取り始めたかと思いきや、急に持っていたお箸をテーブルに投げつけたり。私が時々好きなお菓子を買ってくると「俺の金だろ?」と、嫌味を言われることもあった。
夫婦だって元は他人同士だし、意見がぶつかる時も沢山ある事は承知していた。だけど、思い返せば付き合った当初から、私はずっと違和感を抱いていたし、何より彼が怖かった。
「それって、モラハラじゃない?」
友人がそう言ってくれるまで、その事実に気付かないフリをしていた自分がいた事に気がついた。心の何処かに押し込んでいた感情が全身のあらゆる所から溢れ出し、私を覆い被さった。
「離婚したい。」
言葉にしたものの、すぐに行動に移せる訳ではなかった。当時、私は既に息子を身ごもっていたのだ。息子を育てるためには、我慢して一緒に過ごしていかなければならないし、息子が誕生すれば彼も変わってくれるのではないか?という、あてにならない期待も持ち合わせていた。典型的なパターンだ。
だけど、その日は突然やってきた。本当に些細な、何でもない一言だった。私の長年積み重ねてきた「気付かないフリ」のピラミッドは、見事なまでに崩れ去った。きっと、疑惑と自身への宥めが混在された不安定なピラミッドだったからこそ、崩れ去った後は「未練」の跡形もなく、きれいな更地に戻れたんだと思う。
そこから、私はすぐに動き始めた。まずは住居を確保しなければならない。アパート探しから始めた。私には頼れる身内がいない。正直に言うと、高齢の母が県外に住んでいて、知的障害を持つ兄と暮らしているのだ。そんな状況で、1歳9ヶ月になる息子を連れて実家に戻ることなど絶対に出来ない。私も育休明けで職場に復帰しており、息子も数ヶ月前から保育園に通うようになっていた。息子の環境をガラリと変えてしまうのは酷だと思った。
そして住居が決まり契約を終えたあと、私は家具家電、生活に必要な大体のものを揃え始めた。
「別居したい」
と元夫に伝えた時、彼は泣きながら謝ってきた。「変わるから、絶対に変わる」と。でも私の心は真っさらな更地になっていたし、私より18歳も上の50代の彼が、今さら何をどうやって変わるというのだろう?という気持ちでしかなかった。そしてモラハラする人にありがちな、一時的に優しくなるパターンだという事も分かりきっていた。
猛暑日が何日も続いた、7月の中旬頃から徐々に荷物を運び出し、8月の1日から私は子供を連れて別居を開始した。荷物運びは冷蔵庫などの大きな家電を除いて、全部1人で運んだ。アパートの3階までの階段を、何往復したか分からない位、大量の汗を流しながら行き来した。
そして転職活動も始めた。育休から復帰した職場は非常勤だったので、一人で息子を育てていくには厳しい給料だった。別居を無事に開始してからは、余計に「離婚」を考えるようになっていた。籍を入れたままの状態と、離婚をした状態では「手当」も相当違ってくると実感したからだ。嫌らしい話かもしれないが、近くに頼れる身内がおらず、たった一人でもうすぐ2歳になる息子を育てるには、やはり金銭面での援助は有り難いし、必要だ。
元夫はと言うと、私が引っ越し費用を隠し持っていた事に驚いていて「そんなヘソクリがあったんだ。家計の足しにしてくれれば良かっただろ」とモラハラらしい発言をした。私には一銭の貯金もなく、頼るアテもないから、きっとこの家から出ていくことはないだろう、と高を括っていたんだろう。実際に行動に移されたことが相当悔しかったのか、私はアパートの住所を教えるつもりはなかったが、会話の中から特徴を調べられ、元夫の妹と共にアパートの住所を割り出された時は、当然ながら怒り狂った。そのことに関して後から謝ってきたが、私はどうしても許せない、という事を伝えた。そうして離婚の話が一気に急速化し、別居を開始して3週間後、この一件があったおかげで、協議離婚を成立させる事が出来た。
本物の公正証書ではないけれど、インターネットでテンプレートを引っ張り出し、毎月の養育費の金額も示談で取り決め、公正証書っぽい証書にきちんと記載した。何も無いよりは証拠として残るはずだ。
調停や裁判に持ち込むと心身ともに疲弊することは分かっていたから、協議離婚、ましてやスピード離婚が叶った事は、本当に運が良かったのかもしれない。
それでも、別居準備、引っ越し、転職活動、元夫やその妹へのストレスなどが度重なり、私は肺炎を患ってしまった。夜中に救急車で運ばれるという大事件だ。こんな時に近くに頼れる身内がいないという事は、これほどまでに辛いのか、と思い知らされた。私のケアよりも、私に何かあった時に、まだ喋れない子供が一人ぼっちになってしまう事に凄く不安を感じた。さすがに緊急事態だったので、市内に住む元夫に連絡をしてアパートに来てもらった。
1人で息子を育てると決めて、色々と準備してきたのに。結局こういう事があった場合、頼れるのは元夫しか居ないことに、とても落胆したし、自分の環境を呪ってしまったほどだ。
離婚が成立して4カ月が経った。世間的にはまだ4カ月。それでもこの4カ月の間にも、目まぐるしく感情が揺れ動いた。元夫は別居を開始して離婚するまでは優しかったが、やはり離婚した後は、元通りの人になっていた。頻繁に連絡を取りたくはなかったが、息子との面会交流があったので、その日時や息子の様子については連絡を取らざるをえなかった。
新しい職場の人間関係は良好で、上司もシングルマザーという事もあり、とても理解を示してくれた。子供の体調不良などは考慮してもらえたし、労いの言葉もいつも掛けてくれた。
息子は2歳になり、朝早くから夜遅くまでの保育園生活にも慣れてくれて、毎日健気に頑張ってくれている。転職したばかりで、ワンオペ育児。本当に一息つく暇もない位の忙しさで、つい私も疲れて息子にイライラしてしまったり、怒鳴ってしまった時は「本当にこの選択をして良かったんだろうか?」と思う事もあった。息子の寝顔を見ながら「寂しい思いをさせて、本当にごめんね。」と泣いた日々は、きっとどの立場の母親も、共感してくれるのではないかと思う。
でも、人生って、どうにかなる。私は夏前に重大な決断をして、1人で全て動いて、短期間の間にも紆余曲折しなからも、こうして今、ようやく息子との穏やかな時間を手に入れる事が出来た。確かに動いたのは一人だったが、話を聞いてくれて駆けつけてくれる友人もいたし、息子と穏やかな日々を手に入れたいという強い思いがあったからこそ、踏ん張ってこれた。
頼れる身内がいなくても、元夫に頼ることになったとしても、それでもこの決断で良かったんだと思える。それほど、気持ちが凄く楽になったから。さざなみは立つけれど、結婚していた時のような荒波が襲ってくることはない。
月並みな言葉でしか伝えられないけど、離婚って全てが終わりではなく、新たなスタートが切れる絶好な機会なんだと心から思う。
今までは無知だったけれど、行政には相談窓口やひとり親世帯への支援も沢山用意されている。私は地域の民生委員さんと繋がり、緊急事態の時の備えや、児童相談所との連携の仕方なども教わった。
「大丈夫。どうにかなる。」
民生委員さんが笑顔で言ってくれた言葉だ。そうか、どうにかなるんだ。だから、大丈夫なんだ。毎日疲れていても、孤独に苛まされそうになった時も、これで良かったのか、と迷いそうになった時も、人生どうにかなるから大丈夫。命があって動ける体があれば、絶対に大丈夫。
元夫の事ばかり責めるような書き方をしてしまったけれど、離婚した原因を相手ばかりに追求せず、自分にも非はなかったか?と振り返る事は大切で、そこから今後の人生に役立てていければ、自分の魅力にも直結していくんだろうな、と思う。これまた月並みな言葉だが、人はいつ死ぬか分からないからこそ、今を大事に生きながら、未来につなげていくしかないんだと思った。
協議離婚で、なおかつ元夫にもまだ子供の事で頼っている事もあって、俗に言う泥沼な離婚劇ではないけれど、私のこの決断と経験が誰かの目に止まって、勇気の一歩が踏み出せますように。沢山の選択が出来る人生を生きられるのは幸せな事。今は弱い力でも、いずれ大きな未来を動かせる。周りへの感謝という支軸を常に心がけていれば。