DVから逃れる〜希望に繋がる茨の道〜 -白猫さんの離婚体験記

まさか私が離婚するなんて…

今も悔しい思いが心を突き刺す。
自分こそは幸せな結婚生活を送れると思っていた。
自分の両親も離婚した。私の代で宿命を変えてやろう、そう思っていた。なのに最悪の形で離婚することになってしまった。

私は23歳の時、職場で出会った元夫と結婚している。元夫は職場ではとても働き者でお客さんからの評判も良く優しい人だった。両親の離婚後父親に引き取られ、新しい母から虐待まがいの育て方をされた私はこの人となら大丈夫、きっと幸せになれる。そう思い結婚を決意した。お腹には新しい命も宿っていた。

しかし、子供が生まれた後優しかった元夫が一変する。今までに見たことのない形相で怒鳴り散らし物に当たる。一体何が起きているのかその当時は分からずただ涙するばかりだった。

その後も元夫のモラハラ、暴力は加速していく。普段はよく働き子供の面倒も見ていたが、一度気に入らないことがあると何かのタガが外れたように怒鳴り散らす。そのキッカケが分からずいつも困惑していた。だが私も負けず嫌いの性格のため、言い返すことが多くなりどんどんエスカレートしていった。

やがて子供達が大きくなり反抗期が始まった。
元夫は子供にも暴力を振るうようになっていき、怪我をさせて部活の大会に参加できなかったこともあった。1番上の子が大学に進学する頃には金銭で揉めるようになり、さらに悪化していく。そして2番目の子が大学受験を控えた年末のある朝、事件は起きる。
1番上の子が正月に帰省するのが気に入らないと言い出し怒り出す元夫。

「正月に俺が仕事だからアイツもバイトで稼がせろ!」「お前のせいで金がない!(銀行の)キャッシュカードを返せ!」

と怒鳴り散らしながら鬼のような形相で私の方に近づいてきた。その様子を見て危ないと思った2番目、そして1番下の子が止めに入ったが、元夫は子供たちを跳ね飛ばし2番目は壁に、1番下の子はドアにぶつかりドアに穴が開いた。これは子供たちが危ない!と思いとっさに警察に通報した。すぐに警察が来て、被害届を出せばすぐに逮捕すると言われたが周囲への影響を考えるとそれはできなかった。

その後は警察から定期的に連絡をもらうようになった。元夫とは家庭内別居状態で、できるだけ関わらないように過ごしていた。住んでいた自治体からはDVシェルターへの避難を促され、児童相談所の訪問もあったが、大学受験を間近に控えた2番目の子のことを考えると避難には踏み切れなかった。

しかし、半年後元夫はまたしても1番下の子に暴力を振るう。警察に言おうか悩んでいたところ、向こうから偶然にも電話がかかってきた。すぐに警察が動き、元夫を任意同行するとともに私と子供も再びDVシェルターへの避難を促された。

だが、DVシェルターへ避難するということは今まで自分の築いてきたものを全て放棄するに等しいこと。せっかく慣れた自分の仕事や人間関係、子供の転校。当時2番目の子は無事に大学へ進学し家を出ていたので、小学生だった1番下の子と私で避難することになる。本当に迷ったがついに避難することにした。

1番下の子に転校しなくてはならないことを告げると声を上げて泣いていた。ちょうど修学旅行の直前で、何とかお願いして旅行が終わったら避難することになったが時はコロナ禍。関わった警察官がコロナに罹り、私たちは濃厚接触者として隔離され結局は修学旅行に行けないまま皆にさよならも言えず避難となった。胸が張り裂けそうな思いを堪えて遠くの街のシェルターへ行った。

シェルターには自由はない。プライベートな空間は確保されていたがスマホは事務所に預け、外部とは連絡は取れない。外出もほとんどできない。子供もシェルターにいる間は学校にも通えない。生活保護を受けてくださいと言われ自分が契約していた生命保険、積み立てNISAも全て解約しなくてはならなかった。助けてもらっているとはいえ、人権を奪われたような感覚になり、不安だけが大きくのしかかった。ただ、唯一救いだったのは職員さんたちが皆優しかったこと。たくさん話も聞いてもらい励ましてもらったことがありがたかった。

1ヶ月ほどシェルターで生活し、その後は古いアパートで生活することになった。洗面台も付いていない2DKのアパート。ここは現在も生活している。そして離婚調停、裁判を経て2年ほどかかり、やっと離婚できた。

元夫は最後まで自分は悪くないと言い張り、離婚したくないと言っていた。こちら側も慰謝料は無し、財産分与も無しで和解した。しかし、面会交流だけは元夫側で折れず、さらに1年ほどかけて調停をしている。

面会交流調停では1番下の子に対する調査官調査が行われた。元夫側は直接面会、写真等の送付を求めてきた。当時中学生だった子供は父親には会いたくないとはっきり告げ、拒否したが結局は間接交流が認められ、私の方から半年に一度手紙を送ることで決着がついた。

その間、私は生活保護でいるのがたまらなく嫌で仕事を始めた。幸い前職と同じ会社の部署違いに就職でき安心していたが目立つ場所で接客がメイン業務のため、知り合いに会う可能性があった。遠い街とはいえ、全く知り合いがいない訳ではなく常に用心していた。しかし悪い予感は的中し1番会いたくない知り合いが定期的に来ることがわかった。この知り合いにバレてしまうと元夫はおろか元夫の親までも連絡が行ってしまう。本当に安定した仕事だったが、自分の身を守るためやむなく半年で離職せざるを得なかった。

その後も空港のお土産店の地下倉庫で働いたが重労働と人間関係の悩みから体調を崩し退職することにした。仕事を始めて生活保護から抜けることはできた。だが仕事一つするにも場所を選ばなければならないため職を転々としている。DVを受けて着の身着のまま逃げなくてはならなかった多くの女性たちが何故このように離婚後も苦しい思いをしなくてはならないのか、加害者は今まで通りの家に住み、今まで通りの仕事をしている。恨みのようになってしまうが悔しい思いは今も拭いきれない。どうしたら被害者が安全に加害者を遠ざけながら今までと変わらない生活ができるようになるのか、国に考えて欲しいと思っている。

そして養育費をきちんと徴収できるシステムを確立して欲しい。うちは元夫が今もしっかりと養育費を入れているが、それすらままならないご家庭も多い。

私は離婚したこと自体は全く後悔していないしむしろもっと早く離婚すべきだったと思っている。家は安全な場所であること、伸び伸びと暮らせることは当たり前のことであり、子供達に面前DVのような状態で生活をさせてしまったことをとても後悔している。また離婚するために多くの人の手を借りたことも事実でとても感謝している。

そして今はまだ自分自身も安定しているとは言えないが一つ夢がある。それは以前仕事をしていたwebライターをもう一度始めること。現在は少しずつその夢に向かって歩んでいるところである。まだ1番下の子が幼かった頃、ネットで偶然見つけたwebライターの仕事。元夫には、

「そんなもん仕事じゃない!外に出て働かないからお前は常識がないんだ!」

と怒鳴られながらも順調に仕事は増えていき、とても楽しく仕事をしていた。結局は外で働くことになってライターは辞めてしまったが自由になった今、もう一度自分の力を試してみたいと思っている。

今現在DVで悩んでいる皆さん、どうか一歩だけ勇気を出して支援機関や警察などに相談して欲しい。たくさん乗り越えなくてはならない壁もあって茨の道を進むことになるけれど、平和な日々は自分ため、子供たちのためになくてはならない。自分を押し殺しながら暴力に耐えることは絶対にしてはいけないのだ。

私も助けを求めればたくさんの人たちが手を差し伸べてくれることを初めて知った。
そして今でもあの時助けてくれたDVシェルターの職員や同じ境遇の人たちとは繋がりがあり、時々顔を合わせる機会がある。逃げることはとても大変だったし今でも許せない思いはある。でもネガティブな感情はできるだけ希望に変えてこれからも生きていきたい。

逃げることは負けではない。耐えることは美学ではない。

どうかこの世からDVが消えてなくなりますように!